3月25日、上記の大会が行われました。
40回記念大会ということで、記念誌には下記の内容で寄稿しました。
私にとって、生まれて初めて空手の大会に出場したのが西日本大会でした。
小学3年生になる直前のことです。
キラキラと輝くトロフィーが並んでいるのを見て、すごいなあ、どんな人がこんな賞品をもらうんだろうなあ、と心が躍ったことをはっきり覚えています。
当時黄色帯だった私は、小学生低学年形の部に出場しました。
まさか自分が準優勝してそのトロフィーを持ち帰ることになるとは夢にも思っていませんでした。
それから競技引退まで30年。この一番最初に賞を頂いた喜びが、空手に夢を抱き、練習に励む出発点でした。
今では、私の子供たちも、私が出場していた頃と同じ年齢です。
拳を交えた仲間の子供たちも出場しています。
こうして40年という歳月をつなぎ、私たちと子供たちの夢をつなぎ、未来へとつないでくれる。
西日本大会は、今後もそんな大切な大会であり続けてゆくことでしょう。
40年前、少年部の空手大会がほとんど行われていない時代に本大会は第1回を迎えたそうです。
先達のさまざまな苦労の先に、さまざまなドラマを生み出すこの西日本大会は、40回を数えたのです。
本大会でも、さまざまなドラマがありました。
嬉しいことも、悔しいことも、たくさんありました。
全部、みなさんが全力で頑張った結果です。
だからこそ、勝っても負けても、出場がかなわなくても、感動するドラマが生まれました。
みんなが成長できる舞台でした。
全力で挑み、感動をくれた選手のみなさんに、
そして、40回という歴史を作ってくれた全ての方々に、心より御礼申し上げます。(文:水田洋平)